時給900円で働く30代

限りなく事実寄りのオートフィクションで、登場人物の名前は全て仮名です。

第十二回 安物買いの

出京してすぐ私は自転車を購入しました。

当時私は失業保険を三ヶ月に渡り満額受け取り、上京資金として雀の涙程を残して使い切り、その涙で荷物を東京に送り、汽車に揺られ、アパートメントに着いた頃には口座も財布もすっかり軽く、しかしながら自転車は通勤に必要なので量販店にて一番安価のものを、クレジットカードを使って分割払いで購入したのです。

爾来ほぼ毎日毎日その自転車で雨の日も風の日も大雪の日も通勤し、休みの日も使い倒し、時には東京都外まで遠出をし、丸二年が経った今、すっかり満身創痍で歪んで襤褸襤褸になっています。
平らな道を真っ直ぐ走ると前輪も後輪も小刻みに規則的にガタガタと揺れ、歪みをはっきりと感じとれます。
籠は底面が剥がれ、駐輪中によく風で倒され、傷凹みも目立ちます。
チェーンもダラリと伸び、倒れただけで外れてしまうことが多々あり、先日も仕事に向かう最中にペダルが突然軽くなり、抵抗感が消え失せ、あゝまたチェーンが外れたのかと思い、初期に書いたように私は一分一秒を争う勢いで通勤している故、このような自体は一大事であるのですが、とにかく自転車を降り、確認してみると、何とチェーンが切れておりました。
私は一瞬深く絶望したのですが、自転車が使えなければもうどう足掻こうが間に合うことはないので、仕事場に電話を入れ、自転車を押しながら緩々と歩きました。
そして仕事を終え、修理に出したところ四千円程かかるとのたまわれたのですが、実のところ大体私の予想していた通りだったので、受諾し、自転車は無事復活したのです。

しかし私としては、もうこの襤褸襤褸の安い自転車を修理して乗り継いでいくよりも、何となれば新しく安い自転車を購入した方がいいのではないかという考えが強く起こっていたのです。
既に二度程パンクを修理してもらい、その度に八百円を支払い、二度目の時には、タイヤがかなり磨耗しているので小さな破片のようなものでも簡単にパンクするようになっていると言われ、もしタイヤを交換することになればまた数千円が飛び、合計すればこの自転車の購入価格とそう変わらなくなってしまうのです。

本来私は質の良いものを長く使いたいと思っている人間なのですが、貧乏なればそれも儘ならず、安物を買い、安いが故にぞんざいに扱い、安いが故にすぐに壊れ、また安物を買うという悪循環です。
それを二三回繰り返せば、その為に支払った合計額が、品質のいい高価な物の価格と変わらなくなったりもするのですが、文字通り先立つ物がないのです。
お金がないが故にお金を無駄に使わなくてはならないという場面は多々あります。お金があるが故に節約できるということもまた然りです。

私はストックというものが好きで、今ある物を使い切っても予備がまだあるという状態に至福を感じるのです。
また、小分けで買うよりも大量購入の方が大概のものは安くなるもので、腐ったり、使い切る前に駄目になることがない限り消耗品はまとめ買いした方が節約になるはずです。
しかし、先立つ物がなければそれも叶わず、また、お金がないという状態は論理的思考よりも切実で、今手元にあるお金がなるなるということは論理を超えて不安を煽るのです。
得だとわかっていても、長い目で見ればその量を買うということがわかり切っていても躊躇い、結局小分けで買うのです。

クレジットカードは、その先立つ物がない時に役立つもので、現に私はこの自転車をクレジットカードの三回払いで購入したのですが、やはり家賃光熱年金保険その他諸々差し引いた後に雀の涙しか残らないような状態では中々にクレジットカードを使うことを躊躇してしまいます。
何より私は三回払いで自転車を購入したのですが、三回払いであると分割手数料が発生してしまうので、これもまたお金があれば節約できるという例に倣い、貧しいが故に普通よりも高い値段で購入する羽目に陥ったということです。

あゝ私は今からでも一番安い自転車を購入すべきなのでしょうか。
つい最近に、チェーンの為四千円支払ったばかりなのですが、タイヤも近々駄目になる可能性が高く、然すれば自転車の購入価格と同じ額を支払うことになるのです。チェーンの時点で新しく購入しておけばチェーンも新しく、タイヤも新しく、籠もフレームも新しい物になったのです。
修理で保たせるならば、同じ値段を支払ったのにチェーンとタイヤだけが新しい歪んだ襤褸襤褸の自転車ではありませんか。

そして、自転車には、タイヤは二つあるのです。