時給900円で働く30代

限りなく事実寄りのオートフィクションで、登場人物の名前は全て仮名です。

第八回 酒と男と

東京に帰る前日、私は主に自室で安閑と過ごし、その内に夜になりました。
そして仕事の終わった小杉からメッセージが届き、私は家を出ました。
酷く冷える夜でした。
小杉と共に身体を震わせながら繁華街に向かいました。
住宅地を抜けながら、時折大通りを跨ぐのですが、土曜の夜だというのに余りにも閑散としており、そのことを小杉に言うと、彼は、繁華街に出れば幾らかは賑わうだろうと言いました。

繁華街に着くと慥かに幾らかは賑わっておりましたが、やはりどうにも今ひとつ盛り上がりに欠ける印象がありました。
それは決して東京の土曜の夜と比べてのものだけではなく、嘗て私が住んでいた頃、嘗て私がこの街で夜働いていた頃に比べても活気や人の多さが漸減してきていると思われたのです。
兎も角繁華街に辿り着いた我々の体は冷え切ってしまっていたので、コンビニエンスストアに入店し、暖を取りつつ、温かい甘酒と煙草を購入しました。
退店し、甘酒を胃袋に流し込みましたが大して身体は暖まらず、震えながら夜の店が犇めく通りで一軒目を探しました。
紆余曲折を経て一軒の酒場に当たりをつけ、突入しました。

薄暗い中カウンターに着き、私はウヰスキーのロックを所望し、小杉は何やら逡巡しておりました。
そもそも小杉はあまり酒を飲まない質で、私も本来好んで飲む質ではないのですが、夜の店で働き、カクテルを作ったりしていたこともあり、また、以前は酒の席に呼ばれて飲んだくれたりすることも少なくなく、小杉よりは酒というものに親しんできていると思うので、カウンターの向こう側の女性と共に小杉の酒を考えました。
小杉と酒の席を共にしたことは殆どないというのは以前申し上げましたが、飲むときはまずビールというのが彼の流儀で、其の儘ビールのみで締める姿しか私は見たことがないのですが、今回は少し趣向を変えてみようという段になっていたので、我々はカクテルを選んでおりました。
遅疑逡巡の末にスクリュードライバーに決め、我々は乾杯を致しました。
私はちびちびとウヰスキーを舐め、紙巻と手巻きを交互に吹かし、カウンター越しの女性を交え、今となっては何一つ思い出せない会話に花を咲かせ、順調に酔っ払って行きました。
小杉は私が一杯目のウヰスキーを舐めている間にまた別の、何かは思い出せませんが、カクテルをオーダーし、その内に私もグラスを空にし、もう一杯と考え、何故かこれも今となってはさっぱりと理解仕兼ねるのですが、普段頼んだこともない焼酎というものを、まさしく酔狂というのでしょうが、注文し、カウンター向こうの女性が水割りですかと尋ねるも、否ストレートでと答え、カウンターに水のように透き通った生の焼酎が置かれたのです。
私はそれをちびちびとではなく、こくりこくりと胃の腑に落とし、ウヰスキーの半分程の速さで空にし、退店しました。

私は古里を出て以来初めて完璧に酔っ払いました。
幾分千鳥足で意味もなく笑い、寒風吹き荒ぶ中二軒目を探しました。
私と違い、物怖じしない小杉はキャッチや無料案内所から情報を入手する努力を続け、私はその脇で無意味に笑い、そうこうしているうちに一人のキャッチに連れられて、場末の酒場に通されました。
その店では、ブランデーを飲みつつ内容のない会話をしたのみです。
痴態は演じなかった筈ですが、隣に座った女性などとも話しました。
酔っ払ってはおりましたが、高揚した気分はだいぶ覚め、一時間きっかりで我々は退店しました。
繁華街を後にし、我々は来た道を返し、寒さに震えながら帰路に着きました。
高揚した気分も覚め、暖まった体も冷え切り、ただアルコールを摂取した際に起こる化学的反応のみが残りました。
我々は別れ、私は帰宅し、化学的反応による絶不調の身で東京への帰り支度を遂行し、死にそうになりながら風呂に入り、漸く床に就きました。
化学的反応が頭痛吐き気などを提供し、何度か目覚めては苦しみ藻掻き、また眠り、そのうち朝になりました。
目覚めたときには苦しみは抜けており、朝餉を喰らい、少し休んでから駅に向かい、東京に帰りました。
東京に出て以来四度目の帰郷でしたが、今回は東京に戻る際に取り立てて特別な感情は沸き起こらず、住む場所に戻るという思いのみでした。

東京に着けば平日というのに人が多く活気に満ちていました。
そう此処は素晴らしく活気に満ちた良き場所なのです。

そう思い込み、肯定し、私は自身を騙し、数日後に迫る仕事のことも頭から追い出し、せめてこの時ばかりはと享楽的な思考に自らを入水させるのです。