時給900円で働く30代

限りなく事実寄りのオートフィクションで、登場人物の名前は全て仮名です。

第十三回 七十二億の妄想

私はこの仕事の初日から気が狂いそうになり、そのことはもう何度も書きましたが、特に初期は仕事の切り回しが体に馴染んでおらず、この箱は何処に置くのであったか、次に何をすべきか、まるで不明瞭で、薄暗く足下も見えない中を手探りで進むのにも似た状態で、それでも停滞は許されず、足下に不安があろうと、大きな石に躓くやも知れぬと慄きながら無理矢理と突き進むのみで、押し寄せる箱を覚束ないまま捌き、何かを考え始めたと思えば切り回しの問題に取って代わり、満足に考え事もできず仕事に振り回され、当時未だ柔な足や体は痛めつけられ、心身共に苦痛に曝され、発狂も止むなしという状況だったのです。
しかしやはり単調な作業なので、幾日もすればいくらか慣れ、考え事をしながら箱を捌いていく余裕も出てきました。
そうなれば、否、初めからそうでしたが、とにかく時間の経つのが遅いのです。
朝八時、出勤のタイムカードを押した時に考えることは、早く夜八時になって帰宅したいということです。
何という生活なのでしょう。
貴重な三十代の一日の始まりから既に一日の大半を過ぎ去らせることのみを願うのです。
しかし十二時間という時間は中々すぐには過ぎません。
私はアインシュタイン博士の言葉に縋り、相対的に時の過ぎる速度を早めようと努めるのです。
博士は素敵な美女と話す時間はすぐに過ぎると仰って居られましたが、私は仕事中に横に美女を侍らすことなど叶わないので、とにかく妄想に耽るのみです。
それだけしか手立てはないのです。
色々なことを考えました。
想像上の友達N氏と会話をしたり、過去のこと、未来のこと、昔読んだ本、観た映画などを考えました。
映画などはオープニングからなるべく端折らないよう思い出して行くのですが、それでも一本丸々上映できることなどありませんでした。然りとて映画は大体一本二時間弱であり、仮に六本を脳内で完璧に再生したとてまだ十二時間に少し足りない程なのです。
私が発狂しそうになりながら働いている間に映画を六本観られるのです。
事実私は無職の頃はそのように朝起きてから日がな一日夜が更けるまで何本も映画を観て過ごすことも多々ありました。
仕事中、酷い時には、昼まで二時間イコール百二十分イコール七千二百秒と換算し、それを数えようともしました。
或いは、心を無にし、考えるということをやめれば、時の流れを感じることも意識することもなくなり、寝ている時のように瞬時に過ぎていくのではないかと仮定し、体の動きを仕事に対して自動化させ、考えることをやめようと試みたこともあります。
無論うまくはいきませんでした。
そのような莫迦げた試みの中で、最も初期から今に至るまで続けているのが七十二億の妄想であります。
それはつまり七十二億円を手に入れたらどうするかというもので、私はこれをこの二年、日々欠かさず続けております。
まず私は仕事を辞めます。
当然のことです。
私が死ぬほどに嫌い抜いているツツイさんやミンと仕事をしている時は、すぐにでも辞めて、彼女らを苦しませたいと思うのですが、フェイフォンはまだしもヨシノリ氏は私によくしてくれる上に還暦を疾うに超えているので、彼に過剰な仕事がのしかかるのは忍びなく、七十二億があっても正規の手続きで暫く働かざるを得ないのですが、七十二億を持ってここで働くことはかなりの苦痛でありましょう。
また、仕事を辞めるにあたり、私は今現在居住しているアパートメントを出て行かなくてはならないのです。
それはつまりこの部屋の借主が会社だからであり、それでも私は家賃を満額払っているのですが、とにかく仕事を辞めるのなら出て行くことは必須であり、新しいアパートメントを探さなくてはならないのです。
できるならば手頃な値段でゆったりとした広めのマンションでも購入してのんびりと生活し、そのうちいい場所を見つけられたら家でも建てようかと思うのですが、それでもそのマンションを探すのに少なくとも数ヶ月はかかるのでそれまでのつなぎの部屋がどうしても必要なのです。
七十二億あるとはいえ無職になるわけで、賃貸契約はなかなかスムーズにいかないのではなかろうか、半年分、一年分の家賃の先払いでなんとかならないものだろうか、といったところから不動産屋或いは大家との交渉などを妄想し、さてなんとか仕事も辞め、部屋も借り、七十二億もある、さてどうしよう、どうするのかをただただひたすらに考え続けて時間を殺し、夜の八時を待ち続けるのです。

肝心の七十二億の出どころにあては当然ありません。

それなのに私は、この辛い日々の中、毎日毎日七十二億の妄想を続け、まるで確実に来る未来のように思っており、後少しの辛抱だ、後少しの辛抱だと自らに言い聞かせているのです。

時折、ふとこれが確実なる未来ではないということに気がつき、それこそ気が触れそうな程の絶望感に襲われそうになるのですが、すぐに無視して努めて目を逸らし、また妄想の世界にズブズブと浸かっていくのです。

最も可能性の低い未来に私は日々浸かり続け、目を閉じたまま最も可能性の高い最悪の未来に流されていくのです。