時給900円で働く30代

限りなく事実寄りのオートフィクションで、登場人物の名前は全て仮名です。

第二十一回 小杉の出京

六月に入って風邪を引き、朦朧としながら働いておりました。更新も滞り、したとしても、最近はどうも起こった出来事を単に時系列で書き並べるばかりです。

年の明けに故郷に幾日か戻り、小杉と会ったことは以前第七回に書きましたが、その時に次は東京で会おうという約束を交わし、その日取りも三月下旬のとある日と、二月の頭には決まっていたのですが、ツツイさんが首になったことにより三月の休みがなくなってしまい、それでも何とかとヨシノリさんに懇願し、漸く本来の予定日より一週間程後の三月終わりに休みを取得することが叶い、その日を小杉との相見の日としたのです。

実は私が東京に出て間もなくの頃にも、小杉は一度私に会いに上京してくれました。しかしその頃私は今よりも更に極貧に喘いでおり、電車を使って東京の面白い場所を案内するような余裕はなく、小杉を私の住む街に呼び、どこにでもある喫茶店に行き、日の暮れるまでそこで語らい、我が狭いアパートメントでスパゲティを作って夕食として振る舞い、そうして小杉は我が故郷に帰って行きました。彼は気にしていないでしょうが、その事を考えると今でも胸が痛みます。
高い金と時間を費やして東京まで来てくれたのに、東京らしいことは何一つできず、ただどこにでもあるような喫茶店で一日を潰さされ、また高い金と時間を費やして戻らされたのです。
ですから今回は小杉に東京を楽しんでもらうべく、我が古里では成し難いことをするのです。

昼前、小杉が新幹線で到着しました。
早速昼餉についてインターネットなどを用いて諮詢し、地元にあまりないメイド喫茶に行くことに相成り、秋葉原に向かいました。
そうして然程高くない店に狙いを定め、突撃し、メイドさんケチャップでオムライスの上に絵などを描いてもらい、腹をくちくしました。程なく退店し、薄曇りの秋葉原を暫し探索し、記憶が少し朧気ですが、次に渋谷に向かいました。
渋谷に着くと雨が降り始め、我々は水煙草屋で煙を吐きながら今後について談義致しました。
故郷ではあまりないコンセプト系の居酒屋なぞで夕餉を摂ろうと相成り、日が傾いた頃新宿に赴きました。
雨の歓楽街歌舞伎町を冷やかし、一軒のコンセプト系居酒屋に入店し、コンセプトを楽しみながら軽く飲み食いし、店を出ました。そうしてまた賑わう歌舞伎町を歩いて見て回り、華やかさを享受していました。
すると我々に声を掛ける男性がおりました。歌舞伎町を歩けばそれこそ途切れず呼び込みの人達に声を掛けられるものですが、その時はなんとはなく会話が始まりました。と言っても主に小杉が話したのですが。我々は緩々と歩きつつ彼の誘いを聞いておりました。私はてんから拒否を貫いていたのですが、男は手を替え品を替え、挙句タダでもいいとまで言い出す始末で、その粘りたるや凄まじく、その見栄えのいい外見に見栄えのいいスーツを着込んだ男にプロフェッショナルすら感じるほどでした。
それというのも、私は聞く耳持たずにいたのですが、小杉は私さえ首肯すれば行くという雰囲気をあからさまに見せていたからでしょう。
路上で声を掛ける輩は必ずボッタクリであると書いてある看板が新宿歌舞伎町には至る所に置いてあるのですが、その看板の真ん前で必死に我々に縋る男に滑稽を感じ、結局私が首を縦に振らず、男は去り、また雨上がりの新宿歌舞伎町を散策し始めました。

そして新幹線の終電に間に合うよう駅に向かい、小杉は帰りました。

私は贖罪できたのでしょうか。
それはきっと、彼からの許しではなく、私自身の納得のためなのです。