時給900円で働く30代

限りなく事実寄りのオートフィクションで、登場人物の名前は全て仮名です。

第十五回 三年寝太郎

如月のある日、週に一度の休みに私は同居人とアイススケートをやりに都を出でて神奈川の方に向かいました。
我々は昨年も、その時は都内ですが二度ほどアイススケートを興じに出かけたものです。
出京したのは三年前の初冬ですが、その頃は日々食うにも困るほどの貧困に喘いでいたので、アイススケート等の遊興費に割く余裕なぞある筈もなかったのですが、一年が経ち、漸く幾許かの余裕ができ、三年目の今年もアイススケートを楽しもうかという段となったのです。
神奈川の小洒落た街並みを眺めながらリンクに辿り着くと、私はすっかり忘れていたのですがその日は祝日であり、大変に混雑していて、待ち人多数、リンク内も悠々と滑ることなど不可能な程の詰め込まれ様だったので、我々は潔く諦め、周辺の小洒落たお店を冷やかすこととしました。以前申し上げた通り私の仕事は一月一日以外は全て稼働日であり、世の中のカレンダーとは全く関係なく只々只管毎日毎日トラックから吐き出される箱を運ぶのみで、薄暗い倉庫の中で同じ景色を毎日毎日見ながら毎日毎日同じことを繰り返していると、世界とは隔絶されているかのような気分に陥るのです。世間が祝日だろうと連休だろうと晴れだろうと雨だろうと変わらぬ景色を眺めているばかりなのです。
しかしこの日は偶然私の休日と祝日が重なり、穏やかな気候の中、お洒落なお店、美味しそうなレストランを眺め、平穏な祝日を満喫しておりました。
日も少し傾き、我々は中華街に向かうことにしました。
絢爛な極彩色の建物看板で溢れた中華街にて、日頃は決して中国産の食材は購入しないのですが、ハレの日に気持ちは豪胆となり、路上の胡麻団子や海老煎餅なぞを買い食いし、土産屋を冷やかしておりました。
折しもヴァレンタインの日が近いということで、我々は甘味を幾つか購入いたしました。そして日が傾き、然し乍ら中華街で食事をするのも我々には中々の贅沢であり、結局アパートメントでいつも通り夕餉をとることとし神奈川を後にしました。

金はなくとも楽しむことはできますが、せめて気軽に休日くらいは中華街で食事ができるようになりたいと考えながら電車に揺られていたのです。
或いは、これくらいに貧しいのならばせめて週に二日くらいは休める身分となりたいのです。
週休が二日となれば休みは一気に倍となります。今の私には手に余る程の幸福なのです。

時間を取るか金を取るか、せめてその二者択一であればいいのですが、数年に渡り時間ばかり前借りし続けていた私は今その辨済に追われ、一体利子はどれほどのものか想像もつかないのです。