時給900円で働く30代

限りなく事実寄りのオートフィクションで、登場人物の名前は全て仮名です。

零 時給900円で働く30代の日常

以前に、基本的には朝八時から夜八時まで働くと書きました。
もう少し詳しく書きます。

私の仕事は、倉庫内で、次々とトラックから降ろされるプラスティック製の箱を整理することです。
箱とは、スーパーマーケットなどに搬入する食料品等を収める物です。
私の仕事場に運ばれる箱は空なので重たくはないのですが、一キロ前後はあるので軽いわけでもないのです。
それらが乱雑に台車に乗せられて次々とトラックから吐き出されてくるのです。
そして我々はそれを一台一台引っ張って、そこに無規律に積まれた箱を一つ一つ適切な位置に運ぶのです。
これが私の仕事のほぼ全てです。
私の一日の内の十二時間はそのように過ぎて行くのです。
それはちょうどウィンドウズコンピューターで行なうディスクデフラグメンテーション通称デフラグに酷似しております。デフラグに酷似しているというよりはデフラグ中に表示されるアニメーションに酷似しているのです。
デフラグとは要はコンピューター内の整理整頓で、デフラグの操作を行うと、まずコンピューター内がどれほど散らかっているのかが表示されます。赤や青のラインが入り混じりカラフルなバーコードのようになっており、デフラグを行なうと赤は赤で、青は青でかたまり、整理整頓が完了します。
デフラグ専用のソフトなどを使えばさらにわかりやすいアニメーションが見られます。
様々な色のラインあるいはブロックが散らばり、デフラグを始めると少しずつ同じ色同士がかたまっていきます。
私の仕事はまさにそれなのです。

朝は六時に起きます。
私は朝忙しないのは耐えられないのです。
そして朝食を食べます。朝は昔からしっかりと食べてきましたが、今は食べないで仕事をしたら恐らく倒れるでしょう。
そしてシャワーを浴び、服を着て家を七時三十八分に出ます。この時間でギリギリ、タイムカードを七時五十九分に押せるのです。一分や二分遅くてもいつもより早く自転車を漕げば間に合うだろうと思われるでしょうが、そう言い続けて、七時半から始まり、日に日に一分一分遅くなり、この時間になったのです。
確かに三十九分でも間に合うことはできますが、信号運が悪かったりした場合、全力で漕がなくてはならないですし、実際三十八分に家を出ると信号は大体止まらずに、或いは少しの待ち時間で最後まで行けますが、三十九分の時は赤信号にぶつかることが多いのです。
そうして仕事場に着き、先述の通り混沌とした箱達をあるべき場所に収めていくのです。
私の仕事場では私を含め六人が働いておりますが、日本人は私だけです。

ヨシノリ氏(仮)は見た目も日本人で流暢に日本語を話しますがブラジルの出です。彼は日本語を話しますが読み書きはあまりできません。既に還暦を過ぎ六十代半ばの老人であります。私によくしてくれるのですが、ここ数ヶ月はあまり体調が思わしくなく、早帰りが増え、休みがちです。
ツツイさん(仮)はブラジルの顔をした五十代半ばの女性で、日本語は不如意です。私は彼女が大嫌いなのです。
ダザイ氏(仮)は日本人の顔をしていますがブラジルの出です。日本語は割と流暢です。
ミン(仮)はベトナム女性です。私とほぼ同い年です。日本語は多少話しますがコミュニケートは困難です。私は彼女が大嫌いです。
フェイフォン(仮)は四十半ばのベトナム人で、怖い顔をしていますが、常に意味なく笑う、気はいい男です。あまりに意味なく笑う上、突如として大声で歌い出し、日本語は殆ど話せず赤子のように僅かな単語を羅列するのみなので、私は初め白痴ではないかと思った程です。
また、彼は一人称が自身の名なので、その容貌との落差から愛嬌が出てきます。

私がここで働き始めてから暫くは、人が来たり辞めたりしましたが、この一年はこの六名で固定され、人員の増減はありません。
そして上記の五名はいずれも私より前からここで働いているのです。

十時頃に十五分の休憩があり、ヨシノリ氏、フェイフォン、そして私は喫煙所に行きます。
そしてまた十二時まで箱をあるべき場所に収めて、昼食です。
一時からまた箱を運び、四時頃に十五分の休憩があります。
そうしてそれから八時まで人動デフラグを続け、終業です。
忙しい時は八時半、或いは九時、一番遅い日で十時まで残ることもあります。
師走は忙しかったので九時に終わることが多々ありました。

朝八時から夜八時までの十二時間から、午前午後十五分ずつの休憩三十分と、お昼の一時間を差し引いた十時間半が実働時間となります。
時給は九百円ですが、八時間から先は残業扱いになり、千と幾らかになります。
朝八時から五時半までから休憩を差っ引くと八時間となるので五時半が定時です。夏頃までは定時で上がれる日も時々あったのですが、ヨシノリ氏の体調が悪くなってからは殆どありません。

仕事が終わると私は自転車を漕ぎ、夕食の材料を買いに行きます。
毎日毎日同じ格好で同じような物を買い、そうして帰宅し、夕飯を作り、喰らい、少しだけ寛いで、体を洗い床に就くのです。
仕事中はあまりの眠さに苦しみ、帰宅したらすぐさま夕餉を終え、休む間も無く風呂に入り、十一時過ぎには眠ろうと考えているのですが、結局は大体零時を過ぎます。

眠れば朝が来て仕事に行かなくてはなりません。
また、寛ぐこともせず床に入るということは、その日一日仕事しかしなかったということになり、それは耐え難いのです。

朝早くに起き、灰色のコンクリートの箱の中で只管箱を運び続け、クタクタになって帰宅し、僅かばかりの時間寛ぎ、就寝し、また朝が来ます。
それが私の日常であり、二年間なのです。

このような環境に、落ちるべくして落ち、二年が過ぎ、そうして書き始めたのです。

無為無為を重ね、また一つ無為で無意味な行為を付け加え、三十代の無為なる三年目が過ぎていくのです。

ここには刑期もないのです。