時給900円で働く30代

限りなく事実寄りのオートフィクションで、登場人物の名前は全て仮名です。

負の一 余は如何にして時給九百円で働く三十代になりし乎

私は、とある地方都市に生まれ、育ち、一浪した後に同じ県内の少し離れた大学に通い、卒業し、日本を離れ、一年と少し国外を放浪したり定住したり仕事をしたりした後帰国し、一年ほど夜の仕事をしていたのですがその店が潰れ、爾来数年に渡り、携帯電話、ネット料金及びバンドやら飲みやら遊びやらのお金の為に月に数日だけ働き、二三万あるいは四五万程を稼ぐという生活を続け、そのうち就職活動を始め、遂にとある外資系会社の営業社員となるも一年半目に成績未達で首になり、その後三ヶ月を失業保険で生き抜き、最後の失業保険をもらった後、現在の同居人から倉庫内作業の派遣職を紹介してもらい、齢三十を越して出京し、初のアパートメント暮らしを始め、二年が経ち、今に至るのです。

これが今までの私の人生であります。
各々の部分について詳細を語る時もそのうちありましょうが、こうして我が人生を一文で書き記したものを読むと、詳細を語る程のことは何もないように思えます。
要は適当に生き、苦労を避け、全てをいい加減にした結果辿り着いた境地であるのです。
可能性と選択肢を潰し続けここまで来ました。
立ち止まることも後戻りも当然できません。細く狭く荒廃した茨道を無理矢理と押し進めさせられるしかないのです。
私の体は襤褸襤褸です。
比喩ではなく二年間の肉体労働で体中の筋という筋が凝り固まり、肩周りなどは一部の筋が石化し、いつの日かこの肉体労働から解放されたとしても二度と元のようには戻れない気がします。

私の二十代は、大学、放浪、幾ばくかの労働、そして残りの殆どを放蕩をして浪費冗費乱費して終わりました。

放蕩と言えば聖書の一節『放蕩息子のたとえ話』を思い出します。
読み込めば実に深い話ですが、概括すると、二人兄弟の次男が父親に生前分与を願い出て財を受け、それを金に替え土地を離れ放蕩の限りを尽くし、金が底を尽き、飢饉に襲われ豚の餌さえ喰らいたいと思う程に落ちぶれて、遂に父親の元に帰ろうと思い、家に向かうと、父親は次男が家に辿り着くより先に駆け寄り、抱き締め、しもべ達に上等な服と指輪を持って来させてそれらを次男に身に付けさせ、肥えた子牛を屠らせて祝宴を開き、その賑やかな祝宴の音は畑仕事をしている長男にも届き、しもべに尋ねれば、放蕩から帰った次男の為の宴会だと答え、長男はそれに怒って、自分は何年も父親に仕え、逆らうこともしなかったのに、自分と友人の為に仔山羊一匹すらもらったことがない、にも関わらず遊女と身代喰い潰した次男の為に肥えた子牛を屠るというのは不公平ではないかと、こう抗議するも父は、「お前はいつも私と共にいた。私のものは全てお前のものだ。しかし次男は死んだのに生き返り、いなくなったのに戻って来たのだ」と答える、という話です。
私はミッション系の学校に通っていたので新約聖書を読む機会があったのですが、このたとえ話には全く納得がいきませんでした。
ですが、長々と書き連ねたものの、この話はあまり今回の記事とは関係ありません。
私は豚の餌を喰らいたい程には貧しくはありませんが、放蕩の果てには頼るものなどないのです。
私は人が歯を食いしばっている時に怠け、人がそのおかげで安定や地位や金や家や家族や人生を手に入れた頃に歯を食いしばり、しかしその先に安定も地位も貯金も何もないのです。

歯医者にも碌に行けない私には歯を食いしばるのは難事業なのです。